ぼくは中学生のころ、思いっきり左側の思想の持ち主だった。天皇制に批判的で日の丸や君が代が大嫌いで太平洋戦争は侵略戦争でありアジアの人々にはいくら頭を下げても足りないと感じフェミニストで我ながら信じられないくらいだけど社会党が政権を取ればいいのにと考えていたくらいだった。当時は、左側の思想が洗練されていて先進的に思えて知識人っぽく、とても魅力的でカッコよく思えた。バカげているなんて思わないでくれ。中学生のころなんて、思いこんだらとことんいってしまうものなのだ。  でも今はそうじゃない。そうじゃないと言ったって右側というわけでもない。中道というのもなんだか違う。自分がなんなのかなんて決めていないというが一番近いかもしれない。  自分で決めた枠組みに自分で捕らえられていて、ブラックボックスみたいにある入力に対する出力がいつも決まっている。自分がなんなのかを決めつけてしまっている人は、ぼくにはそう見えてしまうのだ。そこに自由はなさそうじゃないか。  ぼくが左側の思想から脱却できたのは、ふと客観視したときに、左側の人間がとてつもなく気持ち悪く思えたからだ。同様に右側の人間もとてつもなく気持ちが悪く思えた。思想の内容は無関係なのだ。どんな思想でも、端っこの部分に位置する人ほど、ぼくにとっては気持ち悪くて仕方がないのだ。  何が気持ち悪いのか。よくよく考えるとそれは、ある特定の宗教を信じ切っている人や、悪徳商法に騙されているのに自分が騙されていることを認めない人に対して感じる気持ち悪さと同じであることに気づいた。思考や思想が固まってしまっていることに気持ち悪さを感じるのだ。その思想や思考を出力するためだけのロボットみたいなのだ。